・闘牛士・


オペラ『カルメン』を彷彿させる様な闘牛の古いポスター、バルセロナ市内のモヌメンタル闘牛場に展示されていた。

~ 闘牛は勇敢な男の祭り…

闘牛士よ、気を付けろ!

黒い瞳が、愛が、お前を待っているんだ ~

「闘牛士の歌」より抜粋

 

1916年に杮落としをした2万4千人収容のこの闘牛場、名高い闘牛士たちを迎えて歓声に沸いたが、カタルーニャ地方で闘牛が禁止されてから7年目の今夏、外部の雑踏とは対照に、会場内は静寂に包まれていた。

モヌメンタル闘牛場

様々な古代遺跡に牛と人が闘う様子が描かれている様に、闘牛の起源は計り知れなく古い。

スペインには、中世のとある貴族の結婚式で闘牛が行われた記録が残っているそうだ。

 

以来、キリスト教会や王室からの幾度かの禁止が繰り返されたが、その人気は衰えることなく、18世紀には数千人収容可能な闘牛場の建設が始まり、19世紀以降は伝説的な闘牛士たちが次々と登場し、賛否を巻き起こしながらも、今日まで続けられている。

 

カタルーニャ地方で闘牛が行われなくなった事はよく知られているが、カナリヤ諸島やバレアレス諸島他、スペインのいくつかの地方でも禁止されている。

ポルトガルや南フランスでも闘牛が行われているが、牛は殺さない。

なんと、かつてはパリにも闘牛場が建てられ、闘牛が行われていた時期があったそうだが、»牛を殺す»スペイン流の闘牛が受け入れられず、閉場に至ったそうだ。(Rue Pergolèse闘牛場、1889∼1893年、収容人数2万2千人)

 

歴代の芸術家にも影響を与えた闘牛、ピカソやダリ、ヘミングウェイを始め多くのアーティストの作品のインスピレーションになった。

ゴヤの33枚の版画シリーズ「闘牛」»»

ところで闘牛の立役者、闘牛士と云うと思い浮かぶのは 、身体のシルエットを際立たせた派手な衣装姿。

スパンコールが埋められた闘牛士の衣装は Traje de luces、直訳すると「光のスーツ」。

19世紀初頭に活躍した伝統的名闘牛士パキーロの考案で、フランス軍の凱旋服にヒントを得たとの一説も。

そのパキーロの名前は、スペイン語圏で知られたガルシア・ロルカ編集の『13のスペイン古謡集』の中の一曲、「チニータス酒場で」に登場する。

その歌の舞台になるチニータス酒場とは、アンダルシア地方のマラガの街に実在した(1867∼1837)小劇場付きの名高い酒場。スペイン中から多くの著名人が訪れていたという。

チニータス酒場で、パキーロは兄弟に云う。

僕はお前より勇敢だ。

もっと闘牛士だし、もっとジプシー肌だ。

 

パキーロは時計を出して、こう言った。

この牛は4時半までに死ぬんだ。

 

4時が鳴り、皆、酒場から出てきた。

そこに居たのはパキーロ、名高い闘牛士。

ガルシア・ロルカ編集

ピアノ演奏はガルシア・ロルカ自身、歌はラ・アルヘンティーナ。

 

«闘牛士» が «登場»するもう一つのオペラ、イタリア人作曲家ヴェルディがパリを舞台にした『椿姫(1853年初演)には、夜会の余興として「闘牛士の合唱」が組み込まれている。

「~我々スペインの闘牛士はとても勇敢で、危険を顧みない。だからこそ良い愛人なんだ~」と、闘牛士に仮装した人々が戯れる。

ひと昔ほどではないが、今でも闘牛士たちのプライベートは相変わらずマスコミの注目を浴びている。

巨大な牛を前にして、まるで舞うように赤いカポーテを翻す闘牛士の姿、時折TV放映で目にすると、彼らの人気が理解できてしまう気がする。

 

その彼らが厳かに闘牛場に現れる際、会場に鳴り響くのはパソドブレ。

社交ダンスでもお馴染みの曲種だが、軽快な歩兵の行進のリズムを起源とするそうだ。

サルスエラ『山猫』は今日では全幕が演奏される機会はめったにないが、その中の楽曲パソドブレは広く知られている。

その余りの景気良さとは対照に、サルスエラそのものは闘牛界の愛の三角関係をテーマにした悲劇。

礼拝堂に並ぶ、闘牛士の入場口。

空のモヌメンタル闘牛場、血に染まらなくなったことに安堵を覚えながらも、闘牛士たちが通った入場口に立つと、過去からパソドブレが響いてくるよう。


2019年9月

バルセロナ、モヌメンタル闘牛場にて