・ パドロン ・


油で揚げて大粒の塩をまぶしていただくピミエントス・デ・パドロン(パドロンのピーマン)、スペインのタパス(居酒屋料理)の定番。

16~17世紀に修道士が中米から持ち帰った赤唐辛子を、スペイン・ガリシア地方のパドロンで栽培したのが起源だそうだ。

「Os pementos de Padrón, uns pican e outros non = パドロンのピーマン、辛いのもあれば辛くないのもある。」

このガリシア語の一文、この皿が出てくる度に必ず誰かが口にする。

幸い、実際に辛いピーマンに出くわしたことは、ほとんどない。

 

パドロンは約50キロ平米、人口8,700人ほどの小さな街、巡礼で名高いサンティアゴ・デ・コンポステラから南に30キロほどの所にある。

世界中から巡礼者が訪れるサンティアゴ巡礼の終点地、奉られているのはキリストの直弟子、聖ヤコブ。

彼はスペインとポルトガルの布教に尽くしたが、亡くなったのは遠くパレスティナの地。

彼の遺骸は船でスペインに送られ、辿り着いたのはパドロンの港だったと伝えられている。

17世紀まで栄えたサール川沿いにあったそのパドロンの港、(海賊)ヴァイキングの侵略を何度も受けたそうだ。

そのパドロンの駅の近くに、ロサリア・デ・カストロ(1837~1885)という女性作家の博物館がある。

彼女が亡くなった時の住居跡、花々に彩られた庭に立つと、静かで穏やかなガリシア地方独特の美しさに包まれる。

現在でこそ、ガリシア語はガリシア地方で公に使われているが、ロサリア・デ・カストロが生きた19世紀、ガリシア語は階級の低い、貧しい人たちの言語。

エリートや文化人は、スペイン語を使っていた。

そんな中、彼女はスペイン語の作品に続いて、ガリシア語の詩集を出版する。

スペインとガリシアの近代文学の先駆者として高く評価されるロサリア。

女性が学問をしたり社会で活躍する事など夢のような時代に、未婚の母に孤児院に託された幼児期、自らは7人の子供を育て、幼な子を事故で亡くし、、、作家の夫に支えられたとは云え、数々のハンディキャップを抱えながら、波乱に富んだ人生の中、多くの作品を綴った。

ロサリアが描かれていた500ペセタ紙幣。
ロサリアが描かれていた500ペセタ紙幣。

ガリシアの人々が瞼を熱くして口ずさむ「黒い影」は、ロサリアの詩に X.モンテスが作曲した歌。

「黒い影」

貴方はもう去ってしまったと思っていると

黒い影が私を驚かせる

枕元にからかうように戻ってくる。

 

貴方はもう行ってしまったと思っていると

太陽にまで貴方は現れる。

貴方は輝く星、貴方は音を立てる風。

 

歌声が聞こえれば、歌っているのは貴方。

泣声が響けば、泣いているのは貴方。

貴方は川のせせらぎ、貴方は夜、そして暁。

 

貴方は全てに宿り、そして全てが貴方。

私と共に、そして私の為に居る貴方。

貴方は決して私を捨てることなく、常に私を驚かせる影。

他にも、ロサリアの詩は沢山のメロディに載せて歌われる。

「長い五月」はバルドミールの作曲。


「長い五月」

長い五月、長い長い五月、

薔薇の花に全てが覆われる。

弔いの薔薇に思いを馳せる人もいれば、

婚礼を想う人もいる。

 

長い五月、長い長い五月、

私にはあっという間だった。

私の幸せは貴方と共に訪れ、

そして貴方と共に逃げ去って行った。

ロサリアがガリシア語の詩集を出版した日は、カリシア文学記念日として祝われている。

ロサリアの博物館の近くに、ノーベル文学賞作家カミロ・ホセ・セラ (1916~2002) の眠る教会がある。

そのすぐ脇にあるユニークな彼の像。

彼の生家もパドロンにある。彼が愛し続けたイリア・フラビア地区。

数多くの名著作を残しただけでなく、役者、政治家、、、多彩に活躍、歯に衣を着せない彼の言動はマスコミでよく話題になった。

ところでこの辺りでは、川で釣れるランプレアを食べると、春が来たと云うそうだ。

英語だとHyperoartiaとネットで見たが、日本語で何と言うのか、見当たらない。

数年前に一度、そのランプレアを戴いた事があったけれど、、、ガリシアの料理と云えば名物のタコや貝類、カルド・ガジェーゴ (ガリシア風スープ) がやっぱり最高。

ランプレア
ランプレア

サンティアゴで素敵な思い出を戴いた、はる奈さんに感謝を込めて。

2019年2月25日 バルセロナ

みき もり-ロセル